2011.03.29

原発のコト

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春らしくなってきましたが、東京の上野公園での花見宴会の自粛を求める看板が立てられたそうで、コレにはさすがに、、、ですね。岩永です。

震災後、色々な記事を意識的に読むようになりました。

そこで思うのはいくら知識を増やした所で専門家ではない自分は、結局自分のジャッジ基準で冷静に判断するしかないというコト。

そこで今日はこんな記事を読みました。

今盛んに言われているのが「no more fukushima!」ですね。

「原発は即時止めるべき」という人の関心は、安全の確保にあるはずです。

今他のところで大地震が起きて福島と同じような事態が起きたら、それこそ取り返しがつかない、そうなる前に止めるべきだと考えていると思います。この考え方は妥当のように思えます。

その一方「原発は止めない方がよい」という人は、「原発停止による経済の停滞を起こさないこと」に関心があるはずです。

経済の発展は震災復興を下支えするものになります。また無理な節電によって二次被害が生じても本末転倒です。

こうして考えると,原発を止めないという考えも妥当ということになります。

原発推進派と原発反対派は長年対立してきたわけですが、3.11.以後原発に関する議論は活発になることでしょう。

ただし、これは「どちらが正しいか」という問い方をしている限り、信念対立に足をとられて前に進むことが難しくなってしまいます。

ここでは問い方を根本的に変える必要がある、ということがポイントです(こうした場合,答えが出るように適切な形に「問い方を変える」というのは哲学が鍛えてきたとても有用な方法なのです)。

つまり「原発は是か非か」ではなく、双方の関心を織り込む形で、「原発を無くしても問題が生じないようにするにはどのようにすればよいか」といった形に問い方を抜本的に変えるという点が、最も重要なポイントなのです。

「原発は止めない方がよい」というひとも、原発の危険性はもはや否定することはできないでしょう。

原発を止めるにこしたことはないが、止めてしまったならば他のところで大きな弊害が出るため賛成はできないと考えている人が多いと思います。

しかし、原発を無くしても問題が生じないとしたらどうでしょうか。おそらくそれなら反対しないと思います(原発促進を利権絡みで進めている人は断固押し進めようとするかもしれませんが、ここではそういう人は置いておきます)。

したがって、原発を無くしても問題が生じないようにするにはどのようにすればよいか、考えていきましょう。

という考え方。