2011.04.20
いろいろと
「我々の目的は、我々がここにいたことさえ気づかれないようにすることだった」
仙台空港の復旧活動を実質率いた米軍。
しかし震災以来、仙台空港から初の民間機が飛び立った時、彼らの姿はなかった。
日本の立場を害することがないよう慎重に配慮したものだ。
そうして彼らは静かに立ち去ったのだ。
ありがとう。忘れないよ。
長過ぎるツカミでしたが、岩永です。
今日はけっこうネタが多くどれを紹介しようか迷いましたが、やっぱりコレかなと。
そうだ、「差別」はそれ自体がいけないんだ。恥ずかしいんだ。
簡潔にまとめました。
『放射能差別は許してはいけないのだから』
放射能差別は原発事故が起こった当初から危惧されていたわけですが、残念ながら入居拒否から学校でのいじめまで、さまざまなところで起きているようです。
報道機関によって若干内容に違いがあるようで、どれが正しいのかよくわからないのですが、
今日のニュースでは、つくば市が福島からの転入者にスクリーニング検査を求めていたという報道がありました。
つくばといえばもちろん「科学都市」なわけで、そこでこういう対応が行なわれるというのは信じがたい話です。だめでしょう。
放射能のスクリーニング検査はあくまでも被曝した当人の安心のために行なわれるものであって、他人が「証明書」を要求するたぐいのものではありません。
証明書を要求すること自体、被曝の意味をまったく理解していないのだし、差別ですよ。
放射能差別は許しがたい行為です。
それを自治体がやるなど言語道断です。
放射能差別の原因の一部は、放射線や放射能に対する知識が足りないことによるのでしょう。
放射能は感染症じゃないので、放射線を浴びたからといって、その人が放射線を出すわけでもないし、それがうつるわけでもありません。
念のために言うと、放射能差別が許されないのは「放射能は感染しない」からではなく、「差別は許されないから」です。
[追記]
「差別を防ぐことができるのは知識だけだ」と僕は考えているし、そう言ってもいるのですが、ただ、今回のような問題を「科学的知識」だけでなくせるのかといえば、心もとないものがあります。
「うつらないから、差別は誤り」という理屈には有効な面と危険な面の両面あります。
危険な面というのはもちろん、「うつるなら差別してもよい」になりかねないことです。
差別を防ぐための「知識」とは狭義の科学的知識に限らないもっと広い意味での知識でなくてはならないはずです。
なるほど。