2011.04.25
そんな話は聞きたくない
制作35年、10万本の爪楊枝で作られた超絶 Scott Weaver。どんな時もユーモアを忘れない。岩永です。
情報を選別し、自分のフィルターにかけ、それを声にする。
ぼんやりなんかしてられない。
つまらないコトを知り過ぎたら、伝えたいことも伝えられない。。
『そんな話は聞きたくない』
眉間の数センチ前あたりを誰かに指でさされると、物理的なダメージは特にないものの、ジリジリとした嫌な感じが眉間に集中し、非常に不快な状態になります。
震災、というか原発事故以降の首都圏は、そういう状態に近いと思っています。
原発事故直後から「最悪の場合はこうなるぞ!」とか「こうなったのは誰が悪い、どの組織が悪い」という類の話を、意図的に目に入れないようにしてきました。
そのタイミングでは不必要だし、そういうものを見て無用なストレスを溜め込みたくなかったので。
最悪の場合を想定して行動することが大事なのは当然です。
しかし事故直後から「最悪」を語っていた人にはどうも、いわゆる「反原発派」で、ここぞとばかりに持論の正しさを喧伝したがる人が多かったように見えました。
ツイッターなどで断片的に話を見ても、このタイミングでそんなことを話して何になるのか、という感想しかありませんでした。
そして、そうした人たちの「最悪」の想定は得てしてかなり大きく、「それが本当ならばもう諦めるしかないか」と思うようなものをいくつも目にしました。
ネットでは、ぼんやりしているとそうした「もうダメだ」論が目立ち、一方テレビでは「ただちに健康に影響はない」と、聞き慣れないが明らかに変な含みを持った表現が繰り返されました。
どちらも、それだけでは行動指針を立てる参考にならないという意味では、同等に価値のない情報です。
最悪系の情報を遮断した理由は、「価値がない情報だ」と判断をしたからというよりも、ただ感情的に「嫌だったから」というのが最初で、自分としては珍しい経験だと感ます。
これはどういうことなのかなあ……と、この記事を下書きにしたまま、1月ほど考えていました。
1つあったのは「この非常時にドヤ顔になってんじゃねーよ」的な怒りだったかもしれません。
また「あーあ、もうあなた死にますけど、どうします?」みたいなどうにもならない、何の対策も取れないことを突きつけられて受け止められなかったのかもしれません。
実際のところ、自分自身が放射線でどうなるかという不安はそれほどありません。
それよりも、息子がどうなるのか、息子が大人になった頃の日本がどうなっているのか、という心配の方がはるかに大きく、震災後に書店で東北新幹線の絵本(「はやぶさ」登場のタイミングで作られた、沿線の絵が並ぶ絵本がいっぱいあった)を見たときなど、なんとも言えない悄然とした気持ちになりました。
少々落ち着いてから思うのは、警告・警鐘としてひたすら危険性を強調し、結果として不安を煽ることにしかならない、ある種の「反原発」論のマズさ(コミュニケーションやマーケティング的な意味で)でした。
原発の危険性を説く本も少し読んでみましたが、とにもかくにも原発ヤバイ、推進してきた奴らは金の亡者、という話が多く、平時に読んでも共感しにくかっただろうし、今言われてもやっぱり何の役にも立ちません。
原発問題に限らずですが、単純に「推進」「反対」に分かれて押し合うような、単純な構図はもうやめるべきでしょう(住民投票のときなど、そうならざるを得ないこともあるでしょうが)。
国や東電に難癖をつければ自分が「市民の味方」になれる、てな考えは捨てるべきだし、反対に国や東電を少しでも擁護したら「敵」扱いというのも愚かすぎます。
中道を行くのは超大変ですが、それにしても、そこを模索していくしかない。
Twitterやブログ(当然ながらテレビや雑誌等も)含め役立つ情報源を開拓し、情報源の偏りを正しく認識しつつ情報摂取時に補正して、自分で考え、声を出し、それを適切に届け反映させることをしていく必要があるのでしょう。
おそらく、超大変な努力をそれなりの人数が数年も続ければ、その際に大勢の人に支持された人やメディアが力を付け、新しい時代が作れるのだと思います(それも数十年後にどうなっているかは分かりませんが)。
とりあえずは、できるところから目指すべき未来に繋がることを。