2011.04.29

得体の知れる言葉

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『カツオ?あなたひょっとして「テレビに真実がない=ネットには真実がある」と思い込んでない!馬鹿ね〜!

その場所から右を見たって左を見たっておんなじことよ!

あなたがそのイスから立ち上がり部屋から出ない限り、胸を張って主張できる真実なんて見つかりっこないわ〜!』

と、サザエさんはおっしゃっています。岩永です。

このサザエさんのコトバと合わせて読んで頂くとより良いかと。。

主語のないコトバに責任は伴わない、そして誰の耳にも届かない。

(短かく編集しています)

『ホリエモンと主語のない群れ』

先日の東京都知事選挙の結果もそうだし、野村総研などが出す消費者1万人アンケートの結果などもそうなのだけど、ことごとく、わたしや友人の実態とはかけ離れていて、日本人という総体に対してもはや、共感できない自分がいる。

わたしは最近、個人としての「主語」がない主張やアンケート結果に不信感を抱くようになっている。

今回のホリエモンの件も、ホリエモンは「個人」として登場しているのだけど、そのホリエモンに実刑判決を下し、それを応援する一部のメディアに、個人としての主語がないのだ。

一体全体あんたたちは誰なんですか?わたしには、わからないし、とても不気味なのだ。

ホリエモンのフォロワーは60万人いるのだから(日本人のうちの、200人に1人ぐらい。)60万人はホリエモンの個人としての主張を直接受け取ることができているわけです。

もう日本も1つじゃないなとつくづく思う。

同じ日本に住んでいるけどぜんぜん見ている世界も価値観も違うのだと思う。

TVや新聞や雑誌から受け身な情報ばかりを接種している限りは、太平洋戦争時代に日本がもう負けるのがわかっているのに「日本は大丈夫」と言い続けてきた新聞を読んでいるのと同類だろう。情報鎖国に知らず知らずに陥っている。

ジャスミン革命のような大々的なものではないにしろ、日本でも「ウソ」に気づき出した人々は確実に増えているし、今までの常識は、今までの「主語のない」メディアによってつくられたものにすぎないという判断を下す人も増えてきた。

そして気づいてしまった人々は、どんどん行動してマジョリティとされる日本人像からはかけ離れていっている。

これからは、ブログやツイッターなどを通して個人としての「主語」のある言葉が共感されるようになると思う。

わたしはこう思うんだ!わたしはこうしたよ。

自分を暴露しない言葉に、責任は伴わない。

そのことに気づいた人は、主語のある言葉を歓迎するだろう、わたしはそう信じているし、わたしはブロガーとしてそんな得体の知れる言葉を語っていきたいと思っている。