2011.05.12

小沢一郎とは?

photo.jpg

カイロに書いてある「低温やけど注意!」というのは、関西弁ではない。

「低温だけど注意!」という意味では無い。

気を付けよう。岩永です。

個人的に興味を引いた現代ビジネスの記事。

あの「政治とカネ」とは一体なんだったのか?

バイアスのかかった見方なのかもしれませんが、面白い考察だなと。

ホリエモン騒動と似た構造と言えそう。

(詳細はチョット省略して、読みやすく編集してます。)

『「陸山会公判」で追撃される小沢一郎民主党元代表の本当の敵。

細川政権、民主党政権を作った立役者がいま「実力」を発揮できないのはなぜか 』

小沢一郎という人の政治資金を不動産に換えるあざとい錬金術や、政治家としての良し悪しは別として、

政治家としての実績と実力がグンを抜くことを認めない人はいないのではないか。

この20年、「小沢抜き」に日本の政治は語れなかった。

「親小沢」か「反小沢」かで、政界地図は色分けされた。

そして、民主党の政権交代が実現した。

小沢氏を襲った司法のメスは、「小沢一郎という政治家の手法、存在を許してはならない」

とする「霞が関」の総意によってなされた。

「政治主導」を「法務・検察」にまで持ち込んだコトで、検察の怒りが根底にはあるが、検察だけでどうにかできるものでもないと。

むしろ「政治主導」をいいつのる民主党への不安と不満が「霞が関」の官僚機構にあり、リーダーの小沢氏に矛先が向けられたとみるべきだ。

そこにマスコミが連帯した。

09年3月の大久保逮捕でいったんは下火になった小沢捜査が、同年8月の総選挙後に再燃、同じ罪で同じ政治家を狙うという前代未聞は、マスコミとの連帯のうえで実現した。

そもそも、「水谷建設からの裏ガネ1億円」は、裁かれている政治資金規正法違反事件とは何の関わりもない。

単に悪質性を知らしめようとする検察の戦略でしかない。

小沢氏は、政治改革を成し遂げるうえにおいて、官僚機構の弱体化を本気で考えた。

それは、戦後の権力の所在が、官僚機構及びそれと記者クラブ制度を通じて一体化したマスコミにあることを知っていたからだ。

すでに、小沢氏を軸とした「政治主導」は、財務省に取り込まれることによって有名無実化、

事務次官会議の廃止も、天下り規制も、郵政民営化も、政府系金融機関の統廃合も官僚によって押し戻された。

なにも官僚個々を敵視したわけではないが、官僚の権益を弱め、規制緩和で活力を呼び戻し、個人に自己責任原則を徹底、足りない部分を政治が補う、というのが自民党を離れた頃の小沢氏のそもそもの発想だった。

日本の資本主義は、国際競争力を奪う電力料金の値上げで賠償費用を賄おうとする東電処理が象徴するように、競争力を失い緩慢なる死を迎えることになりそうだと。