2011.05.13

人の役に立つ仕事

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昔、自殺率が高かったオーストリアは、自殺報道の自粛など、官とメディアが協調して指針作って報道やめるなどしたことが功を奏して自殺率を大幅に下げた。

そのことはすでに前から各所で報告されており効果が証明されている。岩永です。

人のためは自分のため。

自分のための頑張るパワーなどたかが知れていると。

自己中心的な考えや、行動は結局遠回りになる。

自分のために人に優しく。

それが一番大変だけど、やるしかないんだと。

『「高まる「社会貢献」熱につきまとう危うさ』

昨年くらいから若い世代の社会貢献熱は高まっていると多くのメディアで伝えられていますが、震災以降一段と強くなっているそうです。

ただ、「誰かのため」に働くというコトは、当然それ程簡単なコトでは無いんだと。

最近では、せっかく厳しい就職戦線を勝ち抜いてきたにもかかわらず、辞めていく若手社員が少なくないそうです。

そしてその多くの理由が「やりがいのある仕事をさせてもらえなかった」、「人のためになりたいのに、それが出来ない」ということらしい。

しかし、「誰かのために」という優しい気持ちは、思い通りの反応が得られない瞬間、怒りに変わってしまう事もある。

人のためは自分のため。

「誰かのため」とか「人の役に立ちたい」と働くことは、結局は自分のため。

それを忘れてしまうと、それが分かっていないと、本当に人の役に立つことなど出来ないのではないかと。

なぜ、人の役に立ちたい、と思うのか。

それは誰かの役に立ったと知った時、自分の存在意義を確かめるコトができるからなんだと。

自分のした事で誰かが笑顔になれば、自分が満足感が得られるからだと。

「誰かに役立つ」とか、「誰かが喜ぶ」ためには、やりたくないような地味で面倒臭いことを、コツコツやらなきゃならないことの方が多い。

日の当たらない仕事は山ほどあるし、乗り越えていかなきゃいけないことは沢山ある。

それをやり遂げて初めて「人の役に立つ仕事」ができるのだと。

だいたい「人のために頑張った仕事」が、全てのひとの役に立つというワケでも無い。

人が何を求めるのかは十人十色。

それでも必死に「こうすれば役に立つのでないか?喜んで貰えるのではないか?」と想像するコトしか無いのだと。

それくらい「人の役に立つ」とか、「誰かのために仕事をする」ということは難しい。

「人の役に立ちたいけど、自分を犠牲にしてまでやる気はない」でも、「もっとやりがいのある仕事をしたかった」なんてのは、都合の良すぎる話だと。

そういう全ての努力があるからこそ、「誰かのために」頑張る人は強いのだと。

自分のためにには踏ん張れなくても、「誰かのために」は踏ん張れてしまうんだと。

本当に人の役に立つ人になるには、自分も強くならなきゃダメだと。

悲しむ人がいる時、一緒に泣くのではなく、その人が安心して号泣できるくらい太い人間になること。

涙に胸を貸すことができる度量を備えること。

人に優しくなるには、自分が強くならなきゃいけない。

人のために仕事をするには、その人を支えられる強さを持たないといけない。