2011.06.11
誰が悪いのですか?
村上春樹氏。賛否の吹き荒れる「原発批判」演説ノーカット。http://youtu.be/ZL-W7tX1Z-Y(スマートフォンではご覧になれないようです)岩永です。
6月2日のこのブログでご紹介した「ゆうだい君の手紙」 (http://www.anthem.bz/blog/2011/06/post-1160.html)
このゆうだい君の書いた投書に対し、大人達が多くの回答を寄せています。
皆全力で正しいと信じることを答えている。
しかし、さまざまな意見が寄せられ、意見は割れています。
ならば、絶対的な『正解』はあるのか?
「よし、まずあなたの話を聞こう」 からのスタート!
『悪いのは東電ですか、政府ですか、それとも国民ですか。東電少年の「投書」で大激論』(現代ビジネス)
少年犯罪が続発したとき、「なぜ人を殺したらいけないのか」という子どもの問いに、大人が頭を悩ませたことがあった。
今回の問いは、それより難問かもしれない。日本を原発列島にしたのは誰なのか。
さて、このゆうだい君が投げかけた「東電だけを悪者にするのは無責任。
日本人全体に責任がある」という命題。大人たちに意見を聞いた。
まず、東電と並んで原発の危険性を見逃し続けてきた原子力安全・保安院の広報担当者が語る。
「よく勉強しているなと感心しました。
原発は彼が書いているように、東電という一電力会社が造ったわけではなく、日本も含む世界のエネルギー政策の要請で造られた。
電力会社はそれを実施したに過ぎません。
現在、過去のエネルギー資源問題から、文明論、地球温暖化にも触れ、原子力エネルギーなくして成立しない日々の暮らしまで冷静に考えている。
原発に反対する人は昔から、ずっと感情的に反対で、冷静に考えることがない。
それに比べても、この小学生はよく考えています」
彼らにしてみれば「国民みんなの責任」論は、自分たちの罪を軽くしてくれる免罪符。
さぞ心地よく響くだろう。強力な援軍を得た東電社員にも聞いた。
「自分の子どもが、この子のようなことを考えていてくれたら、本当に嬉しい。
東電社員としては、政府にも言いたいことがたくさんある。
でも、東電再建を担保に取られている以上、菅総理や政府に何も言えない。情けないですが、この子は我々の声を代弁してくれています」(中堅幹部)
東電社員がゆうだい君に救われた気持ちになるのは理解できるが、「原発は安全」と散々聞かされてきた挙げ句の今回の事故。
それで、あなたたち国民にも責任があると言われても釈然としないのもまた事実だろう。
ただし、保安院や東電のような関係者でなくとも、この投書の主張に賛同する声は少なくない。
お茶の水女子大学名誉教授の藤原正彦氏は言う。
「少年が反論したという元のコラムも読みましたが、少年のほうが正しい。
東電にも責任はあるけれど、彼らは政府や保安院、安全委員会など国家の基準に沿ってやってきた。その意味では国にも責任がある。
しかし、一番責任があるのは国民です。原発はテロの危険性もあるし、他国では警察や軍が警備するのが常識。
そういう体制がないのは、国民の危機意識が低いからです。
だから、今回のような危機にも対応できない。
私はいずれ原発は全廃すべきだと考えていますが、ここ20,30年は苦渋の選択として安全をはかりながら、原発でつなぐしかない。
その間に他のエネルギーを研究する。
それが大人の考え方で、あのコラムのように東電だけがクロというようなオール・オア・ナッシングではいけないのです」
もちろん、一義的に東電が悪いという意見は多い。
「『国民みんな』が悪いというところが問題です。
今回の大事故の責任は、漫然と誤った原子力政策を進めてきた東電、そして政府にある。
それを明快にしないと、責任の所在が曖昧になる。
確かに都市生活者は、原発からの電力を購入し、電気料金を支払っています。
しかし、それは一社独占のため、原発からの送電はイヤだといっても選択の余地がないからです。
原発の電気を『使っている』のではなく、『使わされている』。同時に危険も押しつけられる。
さらに事故で国民の健康被害が出たら、増税や電力料金値上げで経済的負担まで押しつけようとする。
まったく悪質です。
この少年には、ずっと原発に反対していた人がいて、その声が無視されてきたこと、責任は東電と国にあること、原発がいかに危険なものであるかを教えてあげるべきでしょう」(ルポライター・鎌田慧氏)
原発推進派で、今回の事故でも当初から「冷静な対応を」と言い続けている大阪大学名誉教授の宮崎慶次氏の見方は、独特だ。
「(感心した様子で)少年は『父親が東電』と堂々と名乗っているんですねぇ。
私の息子が小学生のとき、担任が反原発的なお考えだったようで、授業で原発は危険だと言われた。
それで息子は、親父が原発を造っているといっていじめられたんですよ。
今回の事故の反省として、我々はリスクをきっちり研究してこなかった。
原発は国家の繁栄や文化的進歩のために必要ですが、今後は他の代替エネルギーにも力を入れていくべきでしょう。
責任? それは今まさに政府や対策本部が事故対策をやっているわけですし、事故の直接原因は大地震ですから・・・」
原発に反対する評論家の佐高信氏は、責任の定義そのものについて語った。
「責任というものには段階があって、戦争犯罪でもA級、B級と分けた。
今回の事故でも東電のトップは重い責任を負わなければなりませんが、一般社員の責任の重さはまた違う。
責任の腑分けをしなければなりません。
それをやらないから東電社員の子どもがいじめられるとか、とんでもないことが起こる。
誰かに全責任を負わせるのは日本的な考えですが、責任というものは、全責任か責任がまったくないかという、100とゼロでは分けられません。
東電だけでなく、政府や関連企業にも責任があるのに、少年の手紙ではそこが無視されていますね」
最後に、原子力安全委員会委員長代理な
どを歴任した原子力村の住人でありながら、事故後、真っ先に謝罪した大阪大学名誉教授の住田健二氏に聞いた。
「みんなが原発を容認したというのは、私たち推進派の言い分であり、反対している人たちは容認なんかしていない。
それは間違いありません。
少年が言うように、仮にみんなが原発を容認したとして、では今回の福島第一原発のような大事故を容認できるかといえば、たとえ原発を推進してきた人でも容認できるはずがない。
その後の対応にしても同様です。
リスク研究が足りなかったことは事実ですし、見通しが甘かったと言われれば、その通りです。
そのうえで、今回の事故について言えば、東電に責任がある。ここまで大きな事故になってしまったのは人災です。
対応が遅かったり、情報を出さなかったり、被害を受けた住民に対して土下座するだけでは済みません。
また、菅総理にしても、浜岡原発を突然停止してみたり、批判の矛先をかわすことに終始しているのはいただけません」
小学6年生のゆうだい君の投書を巡って、大人たちもまさに議論百出。
それだけ、この少年の投書が原発問題の本質を衝いていたことは間違いない。
だが、ゆうだい君には酷な話だけれど、大人たちの話では、「東電が悪い」という意見が多かった。
原発から吐き出される放射能で一番被害を受けるのは子どもたちだ。
だからこそ、将来、日本を支える子どもたちのために、原発なんか造るべきじゃないという大人たちもいる。
ゆうだい君、納得できないかもしれないが、そのときは編集部に反論を送ってくれればいい。
言ったこと、起こしてしまったことには責任を持つ。
東電だけじゃない、それが大人の社会のルールなんだ。