2011.06.20

さようならば

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100%岩永です。

スヌーザーが終わる。

僕にとってそれは一大事なわけです。

書き始めると、なんだか意味不明なものになってしまった。

そして残念なコトに、コレが素の僕なワケです。。

「俺的愛読書No.1」

である音楽誌『snoozer』が終わった。

僕が大切にしているコトの全てが詰まっていると言ってもイイ、

[『snoozer』(サブタイトル「全てのブルーにこんがらがったboys & girrs 達へ」)]

が終わった。

ハタチで出会った

『snoozer』・「スヌーザー」(居眠り野郎)

という雑誌のタイトルには、

「俺たちはいろんな現実から目を逸らして、惰眠を貪ってるんだ」

という自己認識と、

「覚醒しろ、闘え!」

ってマッチョに言われても、

「ノー・サンキュー、俺たちは居眠りしてるよ」

というストラグル(もがき)の中での、二つの葛藤が込められている。

僕は音楽を愛していた。

勿論、今も愛している。

イヤ、そんな自分を愛していたのか。。

また、そんな愛すべき音楽を、好き勝手に批評するスヌーザーの編集長・田中宗一郎(タナソウ)が大好きだった。

タナソウほどの思考センスを持った人を、僕は他に知らない。

タナソウほど、

「子供のような心を持ったリアリストな大人」

に、僕は出会ったコトがない。

スヌーザーには全てがあった。

音楽だけじゃなかった、

初めて目にする事実や、価値基準があった。

大切なコトは、全てスヌーザーが教えてくれた。

そんなスヌーザーが終わってしまうのは、あまりに現実的な理由であった。

音楽誌というのは、レコード会社から広告料を貰って成り立っている。

だから、本当に書きたいコトが書けない。

でもスヌーザーは違った。

書き手の「誇り」と「尊厳」が削がれるようなことは、一度たりとも無かった。

「産業」にも、「大衆性」にも呑み込まれることは決して無かった。

しかし、スヌーザーは現実的な「経済」に敗北した。

「このままでは、作りたくない雑誌を作ってしまいそうなのでいったんここでやめる。ゴメンね。」

という敗北宣言をした。

でも、僕には勝利宣言に思えた。

スヌーザーの終わりは、勝利宣言であり、

「徐々に色褪せるくらいなら、燃え尽きる方がずっとイイ。」

そんな強烈なダイイングメッセージであり、

全ての腐敗に対するカウンターパンチであり、

「終わり」が作る「始まり」なんだ。

もっとイイ本を作るために、今は終わるだけだ。

スヌーザーが示そうとしていたアイデンティティとは、

「この先、好転するかどうか分からない世界で、

人が前に進むための原動力となるのは、

叶わないかもしれないけど、自分の尊厳と誇りを失わずに、

それでも諦めずに、

自分自身の役割をまっとうしようとするコトじゃないか?」

「ちゃんと前見てるの?目逸らしてんじゃないの?」

という問いかけであったのだと思う。

そんなアイデンティティに僕自身もリンクしていったワケで、

そしてそれは今も変わらない。

スヌーザーはどんな時も、

「ティーンエイジャーが夢見るようなバカらしいことを、超オトナ的な、リアルな思考で、マジで実現してやろうぜ!」

というボーイズ アンド ガールズの切なる思いを、裏切ることは決して無かった。

ホントに、本当に感謝してる。

裏切らないでいてくれて、ホントにありがとう。

タナソウがそうであるように、

僕も、

「子供みたいなこと言う超リアリストなオトナ」

でありたいと思う。

「この幼稚な気持ちが、どうか永遠でありますように…」

ほんとうは、まだまだ書き足りない。

もっともっと、いろんな思いがある。

でもこの辺で終わりとします。

最後に、創刊時の読者にしか分からない、懐かしい挨拶で締めます。

そう、ピート・タウンゼントのあの言葉。

『あなたがリアルでありますように、あなたが優しくありますように、さもなきゃ、俺の目の前から消え失せちまえ!』