2011.06.21
明るいニュース
30秒で首が超ラクになるストレッチ。岩永です。
自分以外の「誰かのため」に戦い、
勝てないまでも、
「せめて負ける姿だけは見せまい」
という気持でチームが一つになったベガルタ仙台。
この姿は、サッカーだけじゃなく、生きる上での大切な心構えを教えてくれる。
やはり、誰がのために戦う人は強い。
『「負けない」ベガルタ仙台の戦いぶりは、サッカーには戦力を補う"何か"があることを教えてくれる』
(ダイヤモンドオンライン)
もはや伝説になりつつある、といっていいのではないだろうか。
開幕以来、無敗を続けているJ1・ベガルタ仙台である。
ベガルタは昨年、7シーズンぶりにJ1に復帰したが、10勝15敗9分と負け越し、順位は18チーム中14位。
最終節までJ1残留争いを続ける苦労を味わった。
今季はそれなりに選手を補強して臨んだが、クラブの社長が掲げた目標は「ひとケタ順位」。
残留争いでハラハラしなくて済むよう10位以内には入る成績を収めてくれ、ということだ。
弱さを自覚し、段階を経てレベルアップしていこうとしているチームなのである。
そして、大地震と津波が仙台を襲った。
ホームのユアテックスタジアムは損傷が激しく立ち入り禁止になり、クラブハウスも半壊した。
自宅が壊れるなど被災した選手もいた。
物資不足から食事も満足に摂れなかった選手もいたようで、報道によればベガルタ唯一の現日本代表・関口訓充はカップ麺で数日をしのいだという。
Jリーグはこの非常事態を受けて、試合をしばらく中止することを決定した。
地震の被害を受けていない他の地域のクラブは練習を継続できるが、ベガルタの選手はとてもサッカーどころではなかった。
震災後、ほとんどの選手は自宅で悶々とした日々を送っていたようだ。
震災から2週間以上経った3月28日にチームは再集合したが、時間は練習よりもボランティア活動に充てられたという。
被害が大きかった若林区や石巻市などに出向き、避難所への物資の運搬、壊れた家屋の片づけ、がれきの運びだし、子どもたちを元気づけるためのサッカー交流などを行った。
昨季はギリギリでJ1残留を決めたように、チームにJ1で安定した成績を残す地力はない。
そのうえ万全の準備ができず、頼みにしていたエース(マルキーニョス)もいなくなった。
ないないづくしでベガルタはJリーグ再開の4月23日を迎えたのである。
筆者は今季のベガルタの試合をまだスタジアムで観ていないが、中継録画を観た印象では守りでも攻撃でも全員が連動している。
いいところを見せてやろうと個人プレーに走る選手もいなければ、誰かに頼ろうというプレーも見られない。
勝利という目的のために、各ポジションの選手がやるべきことを精一杯やっているという感じなのだ。
ベガルタの選手は震災後、再集合してまずボランティア活動をした。
被災地の惨状を目の当たりにし、つらい状況にある被災者とも接した。
選手は被災者と悲しみを共有したのだ。
地元仙台、広くみれば東北の人たちに支えられているクラブに所属するプロサッカー選手として何ができるか。
そんな経験を通して、自分の存在理由を考えたに違いない。
そして、できることはプレーで地元を元気づけることだと結論を出したはずだ。
そのために最もいいのは勝つことだが、もし勝てなくても、負けるところは見せたくないと強く思ったのではないだろうか。
メディアが
「負けないベガルタ仙台」
に注目するようになってからは、さらにその意識が強くなったようだ。
18日の新潟戦は震災から100日目に当たる。
試合終了間際に同点ゴールを決めた菅井は
「震災100日目の試合で被災者に負ける姿を見せたくなかった」
と語った。
このコメントに今のベガルタの選手たちの気持ちが表れている。
またサポーターも以前にも増して熱い応援で選手を支えている。
ベガルタは熱心なサポーターが多いクラブだ。
ベガルタがJ2で戦っていた04年から09年までの6年間はいずれもリーグナンバー1の観客動員を記録した。
J2の1試合当たりの平均観客動員は6000人から7000人だ。
そんな中、ベガルタだけは倍以上の1万4000人あまりを動員していた。
このサポーターたちが、被災した地元の象徴として「負けない」試合を続けている選手を後押ししている。
サポーターも選手と心をひとつにしているのだ。
今後ベガルタが無敗を続けることはまず不可能だ。
無敗記録はいつか途切れるだろう。
が、明るい話題の少ない今、スポーツのジャンルを超えて、こんな伝説が生まれるのも悪くない。