2011.06.27

ヒトをつくる

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イギリス料理ヤベぇー (´Д` ) 岩永です。

松下幸之助先生はこう言ったそうです。

「取引先で、

『君のところの会社は何を作っとるのかね』

と聞かれたらこう答えなさい、

『松下電器は、人を作っている会社です。併せて電器も作っています』と」

つまりは、そういうこと。

『モノではなくヒトを作る』

いまの時代、僕らはモノではなくヒトをつくることにより一層注力しなくてはいけないのではないでしょうか。

少子高齢化だから子作りに励めとかそういう話ではありません。

ますますソーシャル化して組織における人材に求められるものもP2Pのピアとして機能する人、ピンで機能するチカラのある人が求められる時代にあって、組織のマネジメントにおける「人事」の重要性がよりいっそう高まってくるのではないでしょうか、という話。

その意味で、このソーシャルな時代に組織のマネジメント層に求められるのは、自分たちで商品やサービスやらのモノをつくったり、事業というコトをつくりだすことではないはずです。

自分たちが躍起になってアイデアを捻り出すより、そうしたモノやコトを生むことができるヒトをつくることなのだろうと思います。

そして、そうしたヒトが組織の外の人たちとともに物事を生み出していくことを支援することだと思います。

さらにヒトをつくるという面からみると、マネジメント層が自らモノやコトをつくることに躍起になってしまうことが障害になることさえあると思います。

なぜ障害になりうるかといえば、ヒトが育つためには自らモノやコトをつくりながら自分自身をつくっていくという経験をする必要があるのですが、そういう経験をする時間が上から押し付けられたモノづくりやコトづくりに奪われてしまうと、ヒトづくりの時間が組織から失われるからです。

ヒトをつくろうとしたら、マネジメント層は積極的に、自分以外のヒトが自分自身でモノやコトをつくれるよう支援しないといけません。

そして、モノやコトをつくれる環境、テーマ、リソースなどを積極的に提供して、ヒトが自らをつくる時間を与えてあげる必要があります。

それがソーシャルな時代にますます必要とされる人事、マネジメントでしょう。

経験ある人間はつい自分のアイデアを過大評価して、そのアイデアの実現を求めがちです。

しかし、経験のある人ほど、それを実現する作業は下の人間にまかせてしまわないとできなかったりもします。

ところが、そうやって実現するアイデアは、どんなによく評価しても、たかだかいまの時点で最良のものでしかなく、そのモノをつくるのをあきらめてヒトをつくる方に時間を回した場合に得られる将来のアイデアには到底かなわないはずです。

いま最良のものは将来のそこそこのアイデアにはかなわないと自覚しつつ、上の人間は下の人間に賭ける必要がある。

それができなければ、単にそれができたまわりの組織に負けていくだけなのです。

モノではなくヒトをつくるということで僕がイメージしているのは、そういうことです。

いま必要に思えるモノを手に入れるために、将来不可欠な人材をつくる時間を失ってしまっては元も子もありません。

そういう近視眼的な見方が取り返しのつかないミスになるのが、個々のヒトの力(特にどんな経験をどんな人たちとしてきて、いまはどんなつながりがあるのか、など)がこれまでとは比べられないほど、価値をもつのがソーシャルの時代ではないかと考えます。