2011.06.29
正義を着替える日本人
ちょっと前のやつ、山手線で発見されたリアルのび太。岩永です。
「正義」は時として、刃となり、相手を傷付けることもあり、
大義名分を傘にした攻撃は、怖ろしい。
後ろめたさや、迷いがない分、その攻撃は、より強大となる。
そして、「正義」であるはずの行いは、相手にとっては「脅威」以外の何物でもなくなってしまう。
「正しい行い」は、難しい。。
『「正義」を簡単に着替える日本人』 (宮島理)
日本人は何も変わっていない。
無定見に「正義」を着替え、いかなる「正義」にも便乗しない者を絶えず感情的に攻撃する。
敗戦は、日本人がその責任から逃れるために、古い「正義」をスルリと脱ぎ、新しい「正義」を羽織った時代だった。
そこには合理的説明も省察も何もなく、効力の失われた「正義」を捨て、新しい「正義」を拾うという、醜い自己保身があるだけだったのである。
その過程で、いかなる「正義」にも阿らない人々が犠牲となった。
美濃部達吉は戦前、いわゆる天皇機関説を唱えたことにより、軍部や右翼、ならびに「世論」から激しく攻撃された。
美濃部は貴族院議員を辞職する事態に追い込まれている。
戦後になって、軍部や右翼に同調していた「世論」は、一転して軍部と右翼を叩き、
「民主主義者」となり
「平和主義者」となった。
明治憲法は当然改正されるべきだということになり、天皇機関説により「リベラル」と思われていた美濃部は、反明治憲法陣営(およびGHQ)から、力強い味方として期待されていた。
しかし、美濃部は
「軍国主義者」にも
「平和主義者」にも阿らない。
自分の憲法学を貫き、新憲法制定(明治憲法改正)は無効であると主張した。
また、天皇機関説の美濃部は、明治憲法下でも戦後日本はやっていけると考えていたとも言われている。
この美濃部の行動に、反明治憲法陣営は「勝手に失望」した。
そして、美濃部は彼らから批判されることになるのである。
戦前は
「軍国主義者」に批判され、
戦後は「平和主義者」に批判されたわけだが、
「軍国主義」も「平和主義」もその衣を着ているのは実際のところ同一の「世論」であった。
美濃部は日本人の無定見な「正義」に翻弄されたと言えるだろう。
同じような目にあった人はまだいる。
戦前、津田左右吉は、その実証主義的な記紀研究が皇室の尊厳を犯しているとして、これまた軍部や右翼から批判されていた。
その著書は発禁に追い込まれたのである。戦後になり、
「尊皇主義者」から「反天皇主義者」
に「転向」した人々にとって、津田は反天皇運動の味方になると期待された。
ところが、津田は1946年に
「建国の事情と万世一系の思想」
という論文を発表し、天皇制廃止を否定した。
そのため、反天皇運動からは激しく批判されることとなったのである。
津田もまた、戦前は「尊皇主義者」に批判され、戦後は「反天皇主義者」に批判された。
「尊皇」も「反天皇」も、時代と寝ることしかできない者たちによる仮衣装であり、日本人の無定見な「正義」は、津田のような人物をも苦しめた。
こうした日本人の欺瞞を鋭く突いたのが、太宰治だった。
太宰は1946年に発表した「十五年間」の中で、次のように書いている。
「日本に於いて今さら昨日の軍閥官僚を罵倒してみたって、それはもう自由思想ではない。
それこそ真空管の中の鳩である。
真の勇気ある自由思想家なら、いまこそ何を措いても叫ばなければならぬ事がある。
天皇陛下万歳! この叫びだ。昨日までは古かった。
古いどころか詐欺だった。
しかし、今日に於いては最も新しい自由思想だ。十年前の自由と、今日の自由とその内容が違うとはこの事だ。
それはもはや、神秘主義ではない。
人間の本然の愛だ。
アメリカは自由の国だと聞いている。
必ずや、日本のこの真の自由の叫びを認めてくれるに違いない」(「十五年間」より)
太宰一流の皮肉だが、現在であれば、「天皇陛下万歳!」のかわりに「原発万歳!」と叫ぶところだろうか。
美濃部、津田、太宰の時代と、今の日本人は何ら変わるところがない。
昨日まで
「脱ダム」「温暖化ガス削減」「原発ルネサンス」
と言っていた人々が、一夜にして
「水力発電推進」「火力発電推進」「原発即時廃止」
と叫んでいる。
民主党政権では、
「脱ダム」「温暖化ガス削減」「原発ルネサンス」
が掲げられた。
「脱ダム」の象徴が八ッ場ダム問題である。
そして、
「温暖化ガス25%削減」
を進めるために、温暖化ガスを出さない原発を積極的に推進し、海外に輸出することも官民一体で行われた。
菅政権も2010年6月の閣議決定で、2030年までに原発を14基以上増やす方針を打ち出している。
政権交代を実現した国民の多数派は、「脱ダム」を支持し、「温暖化ガス削減」を支持し、さらに
「温暖化ガス削減」の論理的帰結としての
「原発ルネサンス」を明確に支持した。
ちなみに、私は
「脱ダム」にも「温暖化ガス削減」にも「原発ルネサンス」
にも懐疑的だったが、エネルギー安全保障の観点から消極的に原発依存度の現状維持という立場を取る
「時代遅れ」
でしかなかった。
ところが、時代の先端を行く国民の多数派は、原発事故を受けて、一気に次の新しい流行へと飛び移った。
彼らは一夜にして「脱ダム」を忘れて「水力発電推進」を言い出した(念のため言っておくが、多目的ダムの八ッ場ダムには、発電目的も含まれている)。
さらに「温暖化ガス削減」を忘れて「火力発電推進」を言い出した(石炭・石油から天然ガスに比重を移したところで温暖化ガス削減では原発に到底及ばない)。
「原発ルネサンス」はどこかへ消え去り、
「原発即時廃止」
がトレンドとなった。
180度転換した「世論」の前では、
「水力発電のためにダム増やしたら環境破壊になるけどいいの?」
「火力発電を増強したら、温暖化ガス削減目標は絶対に達成できないけどいいの?」
「原発即時廃止したら当面の電力が足りなくなるけどいいの?」
という当然の疑問は何の意味も持たない。
「正義」を着替えた彼らにとって、そのような「過去」にこだわるのは「ダサい」のである。
もちろん、
「風力・地熱・太陽光だけじゃ絶対に電力足りないよ?」
という疑問もスルーされる。
別に彼らは本気でエネルギー政策を考えているわけではなく、単に原発事故という責任から逃れたいだけだからだ。
それどころか、
「本当に脱原発をしたいなら、既存原発を当面活用しつつ、地道に代替エネルギー確保やエネルギー安全保障強化をしていかなきゃいけないんじゃないの?」
という主張をする者は、
「時代遅れの原発推進派」
として糾弾されてしまう。
また、
「浜岡原発停止”要請”は、電力供給対策を放棄して、いざとなれば電力会社の責任にして逃げられるポピュリズム的手法なんじゃないの?」
と批判する者は、彼らにとって
「原発利権の回し者」だ。
浜岡原発停止”要請”を賛美することは、かつて民主党政権の積極的原発推進路線を支持していた忌まわしき「過去」を忘れるための大切な「儀式」なのである。
「儀式」を邪魔することは、絶対に許されない。
こうした「空気」の時は、空想的理想論がもてはやされる。
「原発の電気は使いたくない」
という子供じみた言い回しをして、「自然エネルギー」がブームになるのは、
「血塗られた平和は要らない」
という子供じみた言い方をして、「非武装中立」を唱えた時代と重なる。
そう、「自然エネルギー」とは、21世紀の「非武装中立」なのだ。
積極的原発推進路線にも原発即時廃止路線にも阿らない人々は、現在、息を潜めてジッとしている。
積極的原発推進路線から原発即時廃止路線に「転向」し、絶えず「正義」を振りかざす人々の感情が収まるまで、何も言わないのが得策だとあきらめているのだろう。
政治家もマスメディアも学者も奥歯に物が挟まったような言い方しかしないのは、敗戦後とまったく同じである。
わが日本は、いつまで「正義」を簡単に着替える人々に振り回されなければならないのだろうか。