2011.06.30

続ブータン

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うわぁ、暇なヤツいるなぁ。。岩永です。

再び、幸福度世界一の国、ブータンのこと。

「そんな幸せもあるんだな」ということ。

日本がブータンのように、

「もっとのんびりやっていこう」

ということではない。

しかし、ブータンから学ぶべきこともあるはずだと。

大国であり、いまだギリギリ世界の先頭を走る日本は、先進国のあるべき姿を示していくのが役割であると。

『「この人は、もう死ぬんだし」えっ!』
(日経ビジネスオンライン)

ブータンの人たちと暮らしをしていて、これは彼らの幸せの秘訣になっているかもなぁと思うことがあります。

それは、

「自分を追い詰めない」こと。

例えば、

仕事で上司が海外のミーティングに参加することになっていた。

大切なお客様から招待され、もちろん参加させていただくと連絡してあった。

しかし、あいにくピークシーズンだったので、担当者がフライトの手配を始めたころには既にフライトが満席になっていて確保できなかった。

ある朝、その旨を上司に報告する。もちろん上司は大目玉…。

というようなことが起こったとします。

上司の前で、その担当者は神妙にします。

私は見ていて、こんなことをしでかしてしまって、さぞかし彼は凹んでいることだろう…

と思い、ちょっとお昼にでも声かけておこう、と食堂に向かう。

するとそこには友人たちと楽しそうに食事をしている彼の姿を見かける。

失敗したことを気にしている様子は微塵もない。

とっても楽しそうにごはんを食べて、友人たちと談笑している。

落ち込んでいないことにほっとしながらも、「大丈夫?」と声をかけると、こんな答えが返ってきます。

「ホント、彼(上司)はいっつも怒るんだよねぇ、怒りすぎだよねぇ」

「このミーティングは、時期と運が悪かったんだよ。

仕方がない。

でもまぁキャンセルが出たらチケットを取れるかもしれないし。

ちょっと様子を見てみよう。

なるようになるさ」

何とも、さっぱりしています。

ブータンの人たちは、私たち日本人よりずっと

「割り切る力」

が強い気がします。

それは仕方がなかったんだ、と言い、くよくよしない、自分を責め、追い詰めすぎない、という傾向があるように思います。

そしてそれは、彼らがリラックスして人生を生きていく上での秘訣でもあるように思います。

彼らが、何かうまくいかないことがあっても、苛立ったり自分を責めたりせず

「仕方がなかった」

と思えるのはなぜなのでしょうか。

日々彼らと仕事をし、またこの土地に暮らしていて感じるのは、そもそもブータンの人々は

「人間の力では(または自分の力では)がんばってみてもどうにもできない」

と思っている範囲が、日本人である私たち以上に大きいのではないかということ。

 
自然の力、という意味だけではなく、運や縁、運命なども含めて、

「まぁ、なるようになるよ」

というスタンスが強いように感じます。

「がんばっても、どうにもできない」

と思っている範囲が、私たち日本人より広いので、中には、私たちの視点からすると

「それは、どうにかできたのではないだろうか…」

と思うのことも、ブータンの人は

「運が悪かった」

とくくってしまう面があります。

このため、うまくいかないことがあっても、自分を責め、追い詰めることがない。

「仕方がなかったね」

と割り切り、また次の瞬間から笑顔に戻る。

これも、ブータンの人々が日々を幸せに生きる上での知恵ではないでしょうか。

ここまでお話しすると、ブータンの人は来世を信じ、また家族との一体感が強いことで、幸せを願う範囲が広いこと、そして割り切り力が高いことは、幸せ感を生むことにつながっており、とてもいいことのように思えます。

うらやましいものでもあるように思います。

 
しかし、何ごとにもいい面も悪い面もあります。

このブータンの人々の

「幸せ」

を支える要素は、時に、日本人の目からするとあまりよくないものを生むことがあります。

 

極端な例かもしれませんが、ブータン東部のある病院での出来事を1つご紹介します。

ブータン東部で、最も大きい病院で看護師をされている日本人女性に話を聞くと、彼女は、

「やりきれないこともたくさんある」

と言います。

ある日、その病院に、重症の患者さんが担ぎ込まれました。集中治療室(ICU)に搬送し手術をすることになりました。

まず気道を確保する必要があり、挿管をしようとしたのですが、うまくいかない。

 
3回目の挿管が失敗したところで、患者さんのご家族がいらっしゃる前で(ブータンではICU内にもご家族が入る)、担当医がこう言ったそうです。

 
「もうやめようよ。どちみちこの人は、もうすぐ死ぬんだし」

諦めてしまった医師に対し、この日本人の看護師さんが

「諦めずに、もう1回やりましょう!」

といって挿管を試みてうまくいき、その後、手術も順調に進んで、結局この患者さんは回復されたそうです。

 
彼女は、あの場面で医師からこの言葉を聴き、本当にショックだったと言います。

また、自分がいないところでは、こうやって諦められることで失われた命も多いのだろうと想像すると、やりきれないと。

医師が、助かる見込みのある患者さんを前に、

「どのみち、もうすぐ亡くなるのだから」

と言い、医療行為を放棄するというのは、信じ難いことに思えます。

ショックでもありますし、やるせなさや怒りも覚えます。

ましてや、自分がその患者さんの家族であったら、またはその場に居合わせた医療従事者であったら、その悔しさはどれほどかと思います。

 
ただ、こうしたことを、日本人の常識からだけ考えて

「ありえない」

と否定することもまた、難しいのではないかと思います。

これも結局のところ、ブータンの人たちの価値観に基づいている部分が大きいと思われるためです。

 

来世を信じるブータンの人たちにとって、現世における

「死」の意味は、

日本人が考えるものとは異なります。

また、ブータンの人たちは

「人間にはどうにもできない」

と思っている範囲が広い。

これらは、ブータンの人々の幸せ感を支えるものでもあります。

そうした価値観の違いを無視して、

「そんなこと言うなんてあり得ない」

と簡単に言うことは、難しいように思います。

時には

「うーん、もう!」

と思ってしまうブータンの人々ですが、それでも、悩みがあっても、いやなことがあっても、あっけらかんと生き、楽しそうにしている彼らを見ていると、うらやましいという思うと同時に、きっと私たちが学べることもあるはずだと感じてしまいます。