2011.07.08
ニッポンの夏の過ごし方
シャンプーブースのセンターポジションを黒ゴムの木に変えてみたよ。岩永です。
夏は暑いもんだし、そうすりゃ当然生産性は落ちる。
だから、夏休みは長いんだから。
でも、だからってそれでいいワケでもない。
生産性が落ちるという事は、甚大な悲劇の連鎖を生むからだ。
だからもう少し、ブータンを見習っても良いんじゃないかと。
せめてクソ暑い夏くらいはもう少し余裕のある仕事にし、それでも全体として、経済力が落ちない仕組み、そういうの誰か考えて欲しいなぁ。。
『エアコンを止めて分かった、ニッポンの夏の過ごし方』(まとめ)
[日経ビジネスオンライン]
東電情報の信頼性はともかく、野放図にエアコンを回すことには、やはり抵抗がある。
日中、一人でいる時は、特にそうだ。
自分一人のために、全空間を冷やすのだと思うと、どうしても気がひけるのだ。
で、7月に入って以来、日中はほとんどエアコン無しで過ごしている。
35度を超えた日もあるというのに。
最初に率直なところを述べる。
この猛烈な暑さは、実地で体験してみると、案外、悪くない。
懐かしいというのか、なんだか自分がスイカ割りをしていた子供の時代に帰ったみたいで、幻想的な気分になる。
うっとりすると言っても良いほどだ。
一番暑い午後の時間帯は、どうしようもないので寝る。
「そんなに暑くて寝られるのか?」
と思うかもしれないが、これが寝られるのである。
というよりも、扇風機の風を浴びながら、横になっていると、目を覚ましていることの方が難しい。
で、寝る。と、一時間半ほどで目が覚める。汗びっしょり。
喉がかわいている。
この一週間、何件か打ち合わせがあって出かけた以外には、何もしていない。
原稿も書いていない。
つまり、生産性はほぼゼロだったわけだ。
こじつけのように聞こえるかもしれないが、私は、夏がイヤな季節になったのは、実は冷房装置のせいだと思い始めている。
エアコンディショナーというものがなかった時代、われわれは、夏を「しのぐ」という形で、暑さに対応していた。
「しのぐ」方法は、細かく拾い上げれば、手法としては山ほどある。
が、根本は、「生産性を落とす」ことだ。
最も暑い季節の一番しのぎにくい時間帯は、いろいろなことをあきらめる–これが、夏を「しのぐ」際の基本姿勢だ。
といって、夏をやり過ごすことに関して、特段に目新しい決意やコンセンサスを持つ必要はない。
真夏の暑さの中に置かれたら、人間は、誰であれ、生存以外のほとんどのことをあきらめざるを得ない。
われわれは、生物学的にそういうふうにできているのだ。
だから、昭和の半ばごろまで、夏の間、日本の産業界の生産性は、明らかに低下していたはずだ。
それが、エアコンという文明の利器を得て以来、事情が変わる。
エアコンは、「温度を下げる」というあらためて考えてみれば、とんでもなく強引な方法で、夏をねじ伏せてしまう機械だ。
と、少なくともエアコンの冷房能力が及ぶ範囲にいる限り、夏は、事実上消滅する。
と、冷房された部屋の中では、生産性が維持される。
冷気を維持するためのコストと、生産性の低下を防ぐことによって得られるメリットを比べてみて、メリットの方が大きいということになれば、オフィスを運営している人々は当然、エアコンを導入する決意を固める。
かくして、日本の夏は、少なくとも働く現場からは駆逐されたわけだ。
コガタアカイエカや、日本住血吸虫がほぼ根絶やしにされたみたいに。
文明の力で。
私は、生産性の向上が良くないと言っているのではない。
生産性が向上しないと、経済は活性化しないし、日本のような国では、労働生産性がとびっきりに高い水準で保たれていないと企業が立ちゆかない。
そのことはよくわかっている。
ただ、この国の温帯モンスーンの夏の、一番暑い半月の間の、そのまた真昼の2時間ぐらいは、生産性を落とした方が、長い目で見て労使双方にとって、好ましい結果をもたらすのではなかろうか、と、そのように私は思うのだよ。
たとえば、7月の下旬から8月の下旬までの1カ月間、昼休みを延長して3時間にする。
それだけで、状況はずっとマイルドになるはずだ。
職住接近なら、家に帰って昼飯を食べて昼寝ができる。
遠距離通勤者にとっては、かえって困った休みになるかもしれないが、なあに、うちの国のサービス業が提供するアメニティは世界一だ。
しばらくすれば、素敵なシエスタ産業が勃興しているだろう。