2011.07.13
みんなそう言ってる
朝から雀の子供を拾ってしまった。。
連れ帰ってはいけないと分かりながらも、車や自転車にひかれそうなのがヒヤヒヤして思わず店に連れ帰ってしまった。
その後、後悔し、元の場所に返すと、親鳥と一緒に元気に羽ばたいていきましたとさ。
元気で暮らせよ。
しかしあの可愛さは異常。。
岩永です。
子供の頃、欲しいモノがある時に、親によく言った
子供「みんな持ってる」
親「みんなって誰?」
みたいなのを、大人になってもやってるんだな。
そして大人同士の場合、それはとても厄介であるあることもあると。
ある意見を封じるために、または、ある意見を押し通すための、
「みんな言ってる」
『「みんなが言ってる」の「みんな」って誰かを疑ってみる』(まとめ)
[the show must go on (http://news.livedoor.com/lite/topics_detail/5703515/)]
人が大勢いれば、そこで何かしら意見の方向性というのは出来るものです。
みんながみんな同じ意見を持つというコトはありえない。
それが有る一定以上の規模のクラスターになると「みんな」という表現になってくるのか、それともある一定以上の割合になれば「みんな」という表現になるのか。
でも、実態とは全く別に1つの意見の占有する規模を表現するときに意図的に
「みんながそう言っている」
という表現を使う事が無いか?
そういいきる人がいたとすれば、完全に性善説に立ったお花畑の住人と断言しても良いんじゃないかと思います。
ただし、そういう使い方が良い悪いという次元の話は別ですが。
多数決とは別の理論
ある意見を封じるために
「みんながそう言っているんだ」
という表現が使われる事があります。
個人に対してもそうですし、何かしらの組織体に対して言われる事もあります。
たとえば何らかの調査に基いて、その対象となった集団の中で例えば過半数を占める意見というのはそれなりに位置を占めているんだとは思います。
ただし、その調査が用意している選択肢やら質問の文言によって意図的に意見を誘導する可能性がゼロかと言うと、実はそんな事は無いと思っています。
なにしろ必ず何かしら意図があって調査を行うわけですし、全く真っ白の完全中立な対象に対して調査をかけるのは至難の業ですし、その集計も何かしら意図がある中での集計ですから、基本的に全くバイアスがかからない調査というものは存在しないと思ってる私なので、その結果を見る場合には必ず調査主体や時期、可能であれば調査フォーム自体を確認してから結果を受け止めるという行動を可能な限り取ります。
もちろん全ての調査が意図的に何かを訴える媒体として利用されているなんて事は思っていません。
でも実際にそのようなものが存在するし、結果的にその調査結果が何かしらの力を持つこともあるわけです。
更には、調査結果の一部分だけを切り取って全く意図しない方向の話の裏書に使われる事すらあるわけで、だからこそ裏を取る事が大事なんです。
何事にも共通する話ですが、絶対にこれを外して物事を論じるべきではないと私は思っています。
で、ここで大事なのは、とりあえずキチンと説明し辛いことや説明出来ない事の裏書として
「みんなが言ってる」
という表現が使われるというのは別に私の個人的な体験だけではなくて、実はもっと汎用的なものであるというコトをキチンと考えてみる事。
全ての裏を取る事は出来ません。このあたりの話を突き詰めると、そもそも
「マーケティングとかPRの仕事のある一定部分ってそういうことじゃないの?」
と言われて凹む訳ですが、それも否定できないのは事実。
勿論程度問題とか倫理観に基いてとか、非常に抽象的なところに拠り所を作るしかなくなるんですが・・・
別に何処の誰かを非難する話ではありません。
これらの状況が間違っているとも言い切ることは当然ですが出来ません。
でも、それが正しいとも言い切れない。
完全に何かしらの意図を持って動いているのが発覚しない限り、どこにでも事実や真実は隠れているし、それとちょっと違う意図は隠れているし、善意の誤解や悪意の曲解も潜んでいる。それをどうやって見極めるかというのは最終的に個人の仕事になるわけで、だからこそ自分は普段からどんなことを考えている誰と一緒にいて、その人たちと何を話していて、そこで何を思っているかというコトをキチンと考える事が大事だと思っています。